あの土地は黒松と桜の木が美しい良い町でした。
今でも総武線の「市川」駅から「本八幡」駅までの間、進行方向左側に黒松の林がよく見えます。
あれは菅野(すがの)という屋敷町を中心とした松林ですね。
松については三本松のほかにも一本松という場所もあるし、菅野のあたりの家には、大抵黒松がありました。
一本松は、市川3丁目にもあったし、同じ市川の「稲荷木(とうかぎ)」という町にもありましたから、いかに松の木にもなじみがあったことが分かるでしょう。
私の娘が生まれたときには、市川市から記念の「黒松」の苗も貰いました。
今でも総武線から見ると市川と本八幡の間の菅野には黒松が沢山見えます。
そして真間川沿いの桜です。
ここは桜土手といって、川沿いに桜の古木が生えていて見事なものでした。
Web から借用。
私は中学生の頃、このあたりの新聞配達をしていた。
私は中学生のころ、新聞配達をしていて、この桜並木のあたりの家の新聞を配達していましたから毎日見事な桜の花を見ることが出来ましたので、良い思い出ですね。
今は、自動車が通れるようにしているので、桜土手も一部は途切れているようです。
この真間川は、江戸川に合流をしていて、水門があって、八つ手網で魚を捕っている人がいましたね。
大体は、ハゼかウナギでした。
ハゼは「ダボハゼ」と言っていくらでも取れたものです。
天ぷらにすると美味しかったことを覚えています。
この真間川が江戸川に合流するあたりには広場があって、柴又の帝釈天に行く焼玉エンジンの舟が出ていました。
この真向かいが、夏の花火大会の会場で江戸川の土手に座って花火を見たものです。
私の家は和菓子屋でしたが、この時期には喫茶店も開いていて氷や自家製のアイスクリームも出していて結構忙しかったですね。
前にブログでも書いたように、まだ家には風呂がなくて、店を閉めてから近くの銭湯に言っていました。
銭湯も近くの商店に会わせて夜12:00頃まで営業をしていました。
但し、この時間になると、銭湯の若旦那が風呂桶を湯船に放り込み始め出して、風呂の掃除と一緒でしたけれどね。
今から 50年以上も前のことですけれど、あとからあとへと思い出してくるものですね。
最近は、永井荷風をはじめ、かなり多くの文士が住んでいたことで有名ですけれど、その頃は、ほとんど知りませんでした。
今は永井荷風の作品は「青空文庫」でほとんどを読んでいて、かなり気に入っていますけれどね。
私が中学生の頃で、いろいろなことがあったけれども楽しい時期でした。
