この川瀬巴水という人は新版画のトップスターと言った人です。
新版画というのも聞きなれない言葉だったのですが、大正から昭和にかけて、絵師、彫師、摺師(すりし)の協同作業によって制作された木版画のことで、廃った江戸時代の「浮世絵」と同じ共同作業を復活させたものですね。
版元の渡辺庄三郎という人が江戸時代の一般大衆向けの「浮世絵」と同じ分業で芸術性も持たせ「美術品」として海外向けの商品にしたものです。
新版画と言っても、浮世絵と大きく違うわけではありません。
しかし絵師の描く絵も、どこか洋画風で、人物の表現も違っていますし、堀士も比較的に輪郭線を残すなど、浮世絵と同じですけれど技術的にはかなり違っていて結構鮮やかな色を使っているのですがしっとりとした感じで派手さをかんじさせません。
また、摺師は、わざとバレンのあとを残すなど、木版らしさを残しています。
川瀬巴水の描く絵はほとんどが風景画ですが、なつかしさを感じさせます。
マックの創業者 スティーブ・ジョブズが 新版画の作品を 43点購入していて、そのうち 25点が川瀬巴水の作品だったそうです。
川瀬巴水が渡辺庄三郎と組んで絵を描き始めたのは 1918年あたりらしいが、その初期の東京十二題から。
駒形堂があるあたりの風景。
日枝神社の風景。
しとやかに降る初夏の雨の風情が良い。
丸太がひしめきあう深川木場の夕景。
何となく懐かしい。
月島にも大きな舟が停めてあった。
マントを着た男性が波止場で舟を眺めている。
この頃から川瀬巴水は深川の三菱財閥の別邸に出入りし、多くの作品を残しています。
巴水と渡邊庄三郎の新版画も軌道に乗りはじめていましたが、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で版木も大事にしていた写生帖も失われてスランプに陥ります。
庄三郎は巴水を旅に出し以前より鮮やかな色合いになすなど大きく画風が変わりました。
雪の白と着物の赤の鮮やかなコントラストが印象的な巴水の代表作。
最も売れた作品で摺られた数は 5000枚にのぼる。
巴水の代表作のひとつ。
芝増上寺に次いで良く売れたと伝えられている。
馬込は田園風景が広がる郊外の農村地帯だっかが、明治時代以降には芸術家や詩人、作家などが移り住むようになった。
巴水もそのひとりで洋館を新築し転居をした。
巴水の自宅から20分ほどの場所の三本松。
描かれている楼門は本社の正面の南門。
春日神社名物の釣灯篭が描かれている。
当時の文部省文化財保護委員会が、伝統的な浮世絵の技法を後世に残すため巴水と伊藤深水に依頼したもの。
スケッチの段階から版画が完成するまでのすべての工程を記録されている。
画録にはスケッチも載っています。
1956年(昭和31年)に銀座松屋画廊で「現代版画五人名作展」が開催され巴水の作品も展示されましたが、翌年胃がんのため 74歳で亡くなりました。
11月に巴水は胃がんのため74歳で亡くなった。
これは巴水の絶筆だが、渡邊庄三郎が仕上げ、百箇日の法要の際に、親族、知人に配られた。
渡邊庄三郎も 1962年(昭和37年)に逝去しましたから、新版画もこれで終わりました。
しかし最近、新しい人たちが令和新版画プロジェクトを立ち上げて活動をし始めましたから、また面白くなりそうですね。
