1880年にシスレーはフォンテーヌブローの森に帰る。
20年前にモネたちと印象派の活動を始めた地でまた絵を描き始めている。
シスレーはこの地に住んで何度もこの周辺を描いている。
印象派の画家たちも、意見が分かれて変わってきたがシスレーの変化は穏やかで、色遣いの幅が広がり、筆致も変化に富んで画面はより複雑な質感を示すようになった。
この地が気に入ったのだろう。
次はピサロです。
ピサロは写実的描写で近代化する前の農村の農村風景や労働を描いています。
伝統的な羊飼いなどではなくて近代化をして行く農村を描いているのです。
ピサロは、田園生活における産業の侵入に注目をして、耕作された風景を描いている。
農村の風景でも、今までの羊飼いなどではなく、鍬で農地を耕す男女の姿にしている。
一時期、点描も行っていたけれど、干し草の山のタッチに名残が残っている。
セーヌ川の支流 エプト川沿いのエラニ―村に移ってからの作品。
スーラの新印象派に加わった頃。
ピサロは、エラニ―と近くのバザンクール=シェル・エプトでの夕日を繰り返し描いた。
この作品は構成はシンプルだけれど、力強く変化に富んだ筆致で活気を与えている。
画商 デュラン=リュエルがモネやピサロの絵を購入してくれたので生活が初めて安定化したころの作品。
セザンヌの才能を認め、一緒にイーゼルを並べて制作をしていた。
セザンヌはピサロを相談相手で神のような人だと言っている。
ピサロの最晩年に描いた連作の一つ。
後期の作品は都市の情景が多い。
印象派も、徐々に意見が分かれて新印象派などが出来てピサロも一時に新印象派に所獄していましたけれど、基本的に印象派の作品に戻っています。
1874年から 1886年まであった印象派展のすべてに出品をしているのはピサロだけですから、ピサロが印象派の作家の中心の一人ですね。
そしてマティスの質問に ピサロが最も印象派の画家だと指摘をしたシスレーもまさしく印象派の画家です。
