三菱一号館美術館は最近の美術館に比べてあまり大きくはないので、展示物を出来るだけ絞りたいのですが、イスラエル博物館はしつこくユリィの作品を入れようとしたようです。
ベルリンを拠点に、特に大戦間の時期に活躍したドイツ印象派の画家、レッサー・ユリィ(1861~1931)という画家です。
ユダヤ系の画家として、これまでもドイツやイスラエルでは重要視されてきたようですが、日本ではあまり紹介される機会がなく、専門家以外では知る人ぞ知る存在でした。
確かに、レッサー・ユリィという名前は私も知りませんでしたし、一般的に全く知られてはいないのです。
今回の美術展の出し物で三菱一号館美術館が最初に断ったレッサー・ユリィの絵にイスラエル博物館が追加で加えられた作品。
他の作品よりもインパクトは少ないけれどイスラエル博物館の意気込みを感じる。
ユリィの絵は 独特の特有のアンニュイな雰囲気があり、かつ青みがかった色味や雨模様などから醸し出される湿り気のあるメランコリックな空気感がある。
大戦前後という緊張感をはらんだ時代背景や、生まれ育った東欧の風土も作品に影響を与えている。
この展覧会の初日に絵はがきが売り切れたそうで、ユリィの絵が 今回の美術展を盛り上げていることは確かでしょう。
夜の街路を描いたユリィの後期の代表作。傘をさして交差点を足早に渡る通行人の視点でベルリンのポツダム広場を描いている。
20世紀最初の10年間に、ポツダム広場は鉄道と複合施設、地下鉄駅を備えた新しい都市交通の中心地として発達し、路面電車とバスも統合され、ポツダム広場はこの時代の象徴となり、文学を含む芸術作品の格好のモティーフとなった。
ユリィもこの広場を何度も描いている。
イスラエル博物館文化部の話では、イスラエル博物館の4点のユリィ作品のうち3点は個人からの寄贈作品がそうですが、《夜のポツダム広場》は1933年にベルリンに創立されたユダヤ博物館に収蔵されていたそうです。
ところが、1938年11月10日にナチス・ドイツによりユダヤ博物館は強制閉館され他の作品とともに没収され、行方がわからなくなりました。
しかし 1945年、旧帝国文化院の地下室で再発見され、ベルリンのユダヤ人返還継承組織を通じて、エルサレムのベツァルエル美術館のコレクションに加えられた後、イスラエル博物館の所蔵となったそうです。
今回の美術展で最も引き付けられたのはこの作品です。
絵はがきが売り切れるのも分かりますね。
私も画禄の他に、この絵のマグネットを買いました。
1880年代にユリィは裁縫にいそしむ女性の姿を頻繁に描いている。
父がボーゼン(旧プロイセン、現ポーランドのポスナン)近郊のビハンバウム(ミエンブフト)で亡くなり、母親がレッサーと二人の兄弟と共にベルリンに移り、小さなリネン店を開き、その収入で息子たちの教育費をまかなったので、縫物をする女性を主題に何度も描いたのだろう。
今年はフェルメールなどの美術展もある様ですが、三菱一号館美術館の「印象派・光の系譜」展は 会期終了間際でしたが 年初から良い美術展でした。
