2016年01月09日

会社時代の仲間との花見

私が年に2会ほど開いている飲み会の仲間とは、神田川の花見と会社時代に結構旅行をしています。
いずれも催しの中心になっていた人が病気をしたので、そこできれていますが、年に2回の飲み会には参加をしています。
ただし、その人はお酒は飲まず、今でもウーロン茶です。
花見は、2006年ー2010年まで 5回開かれていて 6人から8人が参加をしていました。
最初は、目白駅から新宿駅まであるいていたのですが、2007年からは、新宿駅ー新宿御苑ー市ヶ谷ー神楽坂ー江戸川橋ー神田川ー目白駅か高田の馬場駅で 15km弱のルートでした。

IMG_3613.jpg神田川の桜。
この写真は 2010年の撮影。
桜は年によって咲く時期や咲き具合が違うので難しいが 2010年4月3日は、良い桜を見ることが出来た。


人数が変わったのは関西に引っ越しをした人がいることや、病気で出られない年があったこと、新しいメンバーが増えたことなどがありますが、最終的には大体 5名は変わりませんでした。

IMG_1419.jpg神楽坂たつみや。
神楽坂の毘沙門天に近い小さな店だけれど、味が良いので一番利用をした。


私が花見のメンバーになったのは 2006年からですが、一番利用をしたのは神楽坂の坂の頂上の毘沙門天の近くにある「たつみや」です。
小さい店ですけれど、なかなか良い店です。

IMG_0646.jpg江戸川橋「石ばし」。
次に多かったのがここ。
フルコースが味わえる。
甘みをおさえた関東風の焼きでなかなか良い。


甘みをおさえた関東風の焼きでなかなか良いですね。
ミシュランで、かなり前から1つ星を付けられている店ですから予約をしないと店に入ることが出来ません。
IMG_0645.jpg店は予約をしないと入れない。
この日も「本日分 完売いたしました。 石ばし」とかかれた紙が貼ってあった。


今は、あまり歩くことが出来なくなってきていることもあって近場で少しだけ花見に行っているようですが、新宿御苑の桜や、お堀端の桜、神田川の桜はそれなりに良いものです。
それに、酒は飲まなくなった人もいますけれど、大体うなぎを食べて、酒を飲むという基本がありましたから少し寂しいですね。
今、住んでいる君津の近くでは水仙の花が咲き始めているようですし、鴨川の菜な畑ロードの菜の花も良いようですから、来週あたりに行ってみたいと思います。
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2013年12月11日

市川市は黒松と桜の町だった

私は子どもの頃から25年以上市川市に住んでいました。
あの土地は黒松と桜の木が美しい良い町でした。
今でも総武線の「市川」駅から「本八幡」駅までの間、進行方向左側に黒松の林がよく見えます。
あれは菅野(すがの)という屋敷町を中心とした松林ですね。
松については三本松のほかにも一本松という場所もあるし、菅野のあたりの家には、大抵黒松がありました。
一本松は、市川3丁目にもあったし、同じ市川の「稲荷木(とうかぎ)」という町にもありましたから、いかに松の木にもなじみがあったことが分かるでしょう。
私の娘が生まれたときには、市川市から記念の「黒松」の苗も貰いました。
今でも総武線から見ると市川と本八幡の間の菅野には黒松が沢山見えます。
そして真間川沿いの桜です。
ここは桜土手といって、川沿いに桜の古木が生えていて見事なものでした。

真間川の桜土手.jpg真間川の桜土手。
Web から借用。
私は中学生の頃、このあたりの新聞配達をしていた。

私は中学生のころ、新聞配達をしていて、この桜並木のあたりの家の新聞を配達していましたから毎日見事な桜の花を見ることが出来ましたので、良い思い出ですね。
今は、自動車が通れるようにしているので、桜土手も一部は途切れているようです。
この真間川は、江戸川に合流をしていて、水門があって、八つ手網で魚を捕っている人がいましたね。
大体は、ハゼかウナギでした。
ハゼは「ダボハゼ」と言っていくらでも取れたものです。
天ぷらにすると美味しかったことを覚えています。
この真間川が江戸川に合流するあたりには広場があって、柴又の帝釈天に行く焼玉エンジンの舟が出ていました。
この真向かいが、夏の花火大会の会場で江戸川の土手に座って花火を見たものです。
私の家は和菓子屋でしたが、この時期には喫茶店も開いていて氷や自家製のアイスクリームも出していて結構忙しかったですね。
前にブログでも書いたように、まだ家には風呂がなくて、店を閉めてから近くの銭湯に言っていました。
銭湯も近くの商店に会わせて夜12:00頃まで営業をしていました。
但し、この時間になると、銭湯の若旦那が風呂桶を湯船に放り込み始め出して、風呂の掃除と一緒でしたけれどね。
今から 50年以上も前のことですけれど、あとからあとへと思い出してくるものですね。
最近は、永井荷風をはじめ、かなり多くの文士が住んでいたことで有名ですけれど、その頃は、ほとんど知りませんでした。
今は永井荷風の作品は「青空文庫」でほとんどを読んでいて、かなり気に入っていますけれどね。
私が中学生の頃で、いろいろなことがあったけれども楽しい時期でした。
posted by ogu at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | 更新情報をチェックする

2013年12月10日

市川の思い出 大杉書店と尾張屋

11月23日に市川での高校の同窓会が終わってから横の坂を下ったら、目の前に「大杉書店」と「尾張屋」がありました。
この「大杉書店」と鰻の「尾張屋」は2つとも市川が発祥のお店です。
「大杉書店」は今は、大杉芸術学院という書道、華道、絵画などの文化講座、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、声楽などの音楽講座、そしてバレエ講座なども開いていますけれど、基本的には「書店」が主でしょう。
この書店は私が小学生のころからいつも行っていた本屋さんで、在庫も結構あります。
ちょっと覗いてみましたけれど、当然ですがレイアウトは変わってきています。
今の大規模な書店と比べると種類は少ないですけれど、土地の要求はほぼ満たしているのでしょう。

尾張屋と大杉書店.jpgダイエーのビルの手前に「大杉書店」と鰻の「尾張屋」のビルが並んでいる。
2つの店とも市川が発祥の店だ。

また、尾張屋も市川を拠点にして、店と外販をするのは変わっていません。
私は、小学生の頃、大杉書店で受験研究社の「自由自在」シリーズを良く買いました。
「自由自在」シリーズは今も続いていて創刊約60年だそうですから、私がなじんでいた頃も、もう10年近く経っていたのでしょう。

自由自在.JPG受験研究社の自由自在シリーズ。
創刊して約60年も経つそうだ。
わかりやすくて説明が詳しかったので好きだった。

両方の店とも、信頼されているのでしょうね。
この2つの店は、私が小学生のころから利用をしている店で、こういう店が続いているということがうれしいですね。
ラベル:大杉書店 尾張屋
posted by ogu at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | 更新情報をチェックする

2013年12月02日

千葉信用金庫久留里支店

11月26日に、約20年振りに久留里の町を散策していたら「千葉信用金庫久留里支店」がありました。
久留里駅には、駅前に駐車スペースがありましたから、年に数回は行っていたのですけれど、なかなか町を散策する事はありませんでした。
今回は、駅前に水汲みひろばの駐車スペースも出来たので、水を汲んでから街の中を散策をすることが出来ました。
平日でしたし町の商店街は規模が小さいですからね。
ここは昔は「木更津信用金庫久留里支店」でしたが、2002年に木更津信用金庫、成田信用金庫が千葉信用金庫と合併をして、今の「千葉信用金庫久留里支店」になったのです。

千葉信金久留里支店1.jpg千葉信用金庫久留里支店。
かつては木更津信用金庫久留里支店だった。
よく来たのだけれど店の前に 2000GT を駐車出来たから店のレイアウトは変わっているのだろう。


木更津信用金庫は私と若いエンジニアの二人で保守を担当していたところで、この久留里支店の銀行端末機の保守にも来ましたから、良く覚えています。
もともとはシステム360 の モデル20 という一番小さいコンピューターでバッチ処理をしていました。
木更津駅の東口側に本店があって、周りはまだ蓮の田んぼばっかりでしたけれど、その後 モデル40 と 3600 という端末機を使ったオンラインシステムを稼働させた実力もあった信用金庫でした。
昔は信用金庫の理事からも気に入られて、最高の評価を貰っていましたし、信用金庫の女性社員を貰ってくれと言われたこともあります。
日産の4代目 スカイラインのハードトップ 2000GT に乗っていた頃ですから 1976年ころでしょうか。
まだアクアラインなどは話も出ていないで、木更津港から横浜までフェリーボートが出ている頃でした。(アクアラインの完成は 1997年12月)
あの頃は、木更津も繁栄をしていて、良いお店や飲み屋も沢山あって楽しい時期でしたね。
posted by ogu at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | 更新情報をチェックする

2013年11月30日

昭和30年頃の市川駅前

Web に昭和30年頃の千葉県市川駅前の図が載っていました。
図は絵葉書が元のようで不鮮明だと書かれていますけれど、市川に住んでいたので、ほとんど記憶の通りだと思います。
この図は、市川駅からロータリーを見た図ですね。
必要なことはほとんど書かれています。

市川駅前 S30年頃.jpgWeb に載っていた昭和30年頃の「市川駅」前。
左奥のヤマザキの店の屋上に「ヤマザキ」の看板が見える。
右の奥の角に和菓子の「島村」の店があった。
右側に「ダイエー」のビルができるまでは、マーケットと呼ぶ「闇市」があった。

停まっているバスは京成バスですね。
左奥のビルがヤマザキパンの店で、屋上に「ヤマザキ」の看板が見えます。
今の山崎製パン株式会社の前身の山崎製パン所は市川で開業をして、市川駅前に店舗を開きました。
このビルの1階がパンやケーキの販売所で2階はレストランでしたね。
右の奥の国道14号線との交差点に和菓子屋の「島村」の店がありました。
当時からしゃれた造りでしたね。
島村の手前に銀行があって、夕方になると中華そばの屋台が出ていました。
市川駅は私の家からは200m くらいですから、家族でよく食べに行きました。
この屋台は、途中から店を持ったのですが、屋台の時のほうがおいしかったですね。
また、ロータリーの右側の屋上に「アサヒビール」の看板が出ているところは和食店でした。
和食屋の右側に「ダイエー」のビルができるまでは、みんながマーケットと呼んでいた「闇市」がありました。
また、この図には出ていませんが、左側の奥に「模型店」があって、良く模型を買いに行きました。
スプートニクの模型や東京タワーの模型などは欲しかったですね。
この絵だけでもいろいろなことを思い出します。
ラベル:市川駅前
posted by ogu at 19:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | 更新情報をチェックする

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