12月7日に亀山湖、養老渓谷に行き、翌日 8日に富津市のもみじロードでもみじを楽しんだ後、大山千枚田に寄ってから、千葉 酪農のさとに行きました。
ここは、日本の酪農の原点のような場所ですが、知っている人はあまりいないでしょう。

酪農資料館。
中には、酪農の歴史・乳牛の生態・牛と農家の共存のすがたなどをパネルやビデオなどで展示紹介をしている。
酪農資料館は 2階立てで、柏農の歴史などについて丁寧に説明パネルがでています。
ウェブのホームサイトから転用すると次のようになります。
■日本酪農発祥の地
平安時代から房総の広い牧場には馬が放し飼いにされて、朝廷に納められていました。
鎌倉時代、戦国時代には軍馬を生産するために牧場が機能していました。
安房の嶺岡一帯(現在の南房総市大井)は、安房国守の里見氏の牧場でしたが、
江戸時代に 幕府が直接管理するところとなりました。
八代将軍吉宗は、享保13年(1728年)インド産といわれる白牛(乳牛)3頭を
輸入し、この嶺岡牧で飼育、これを基に頭数を増やし改良を進めるとともに、
疲労回復の強壮剤、さらには労咳や解熱を効能とした薬などとして用いた
“白牛酪”という乳製品や傷薬として使った“御生薬”の製造を開始しました。
吉宗公が牛乳を使って乳製品を作ったことが日本の酪農の始まりとされており、
千葉県は、昭和38年5月“日本酪農発祥の地”として「千葉県史跡」に指定しています。
千葉県酪農のさとは、日本酪農発祥の地にあり、嶺岡乳牛研究所のそばに建設したものです。

酪農のさとの隣にある千葉県嶺岡乳牛研究所の
事務所入り口にある「日本作農発祥の地」の碑。
■酪農へ発展
8代将軍の徳川吉宗が、馬と一緒にインド産の白牛を輸入して、嶺岡に運びました。
白牛は嶺岡で飼育され、数を増やしました。 白牛から搾った牛乳で「白牛酪」という乳製品を作りました。 当時は、強壮剤や解熱用の薬として使っていたそうです。
始め将軍家に献上品として納められましたが、量が増えてきた1796年頃からは庶民にも販売されるようになったそうで、この牛乳を使って乳製品を作ったことが、現在の日本の酪農へとつながっていったので、嶺岡が「日本酪農発祥の地」といわれているのです。

嶺岡には広い牧場があって、この日はヤギが放牧をされていた。
酪農資料館の2階から撮影。

酪農のさとの敷地内には、研究棟や牛舎などが並んでいる。

酪農のさとには、細い川があって景色も良い。

酪農のさとのシンボルともいうべき白牛は一時は70頭まで増えたそうだが伝染病で死んでしまい日本では酪農のさとの3頭しかいない。
白牛舎は駐車場のそばに別にあります。
乳牛は現在はホルシュタインが主流で、白牛はこの酪農のさとの3頭だけだそうです。
この前に来たときには 1頭が、貸し出されていましたが、この日は3頭いました。