2023年06月04日

国立近代美術館

4月28日に東京竹橋の国立近代美術館で開催をされている「重要文化財の秘密」を観に行きました。
例によって木更津駅西口から東京駅八重洲口へのバスを利用しました。
東京ミッドタウン八重洲の地下2階に着く新しいバスターミナル八重洲は良いですね。
少し前までは住友生命ビル前のバス停についていましたけれど、今は地下2階まで降り、地下1階に上るエスカレーターでヤエチカに直結です。
行きはヤエチカを歩き東西線 大手町で地下鉄に乗り、1つ目の「竹橋」駅で降りました。
仕事をしている頃は「毎日新聞本社」が入っている「パレスサイドビル」のあたりも良く歩いたのですが、今ではビルの地下街が沢山の店が出来ていて迷います。

20230428 竹橋 (3).jpg東京メトロ 東西線 大手町から一駅目の「竹橋」駅。
この駅は、毎日新聞 本社も入っているパレスサイドビルにある。
パレスサイドビルの地下街は、東京メトロ 竹橋駅直結で 多くの店が出来ていた。


20230428 竹橋 (2).jpg代官町通り 竹橋交差点。
交差点の向こう側に 竹橋の矯柱が見える。
竹橋を渡った先に 国立近代美術館がある。


20230428 近代美術館 (1).jpg国立近代美術館。
私は身体障害者手帳を持っているから、沢山の皆さんがチケット売り場で並んでいるけれど、手帳を見せるだけで無料で入ることが出来た。


今回の展示は「重要文化財の秘密」で、入ってすぐに、横山大観の「生々流転」が置かれていました。
「生々流転」は 40m もある巻物ですから、これを観るだけでも価値があります。
数年前に池之端の横山大観に行ってみましたけれど、「生々流転」は国立近代美術館に収納をしてありますから、良い絵を観ることは出来ませんでした。
今回は、撮影は不可でしたけれどすべて観ることが出来ました。
後は高橋 由一の「鮭」、狩野 芳崖の「義母観音」も観ることが出来ました。
例によって図録も買って来ましたから、そちらでゆっくりと観ることが出来ます。
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2022年04月03日

上野にフェルメールの絵を観に行った

3月29日は、上野公園の桜も満開という情報があったので東京都美術館で開催中の「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を観に行きました。
この美術展は、1月22日から 4月3日まで開催をしているのですが、桜も見たかったので、時期を調整していたのです。
いつものようにJR木更津駅西口から高速バスで東京駅八重洲口前まで行き、JRで上野駅に行きました。

上野 (4).jpgJR上野駅 公園口から見た東京文化会館。
駅と文化会館を隔てる道路が無くなったのが良い。


上野 (5).jpgJR上野駅 公園口。
前は工事中だったけれど完全に完成している。


上野 (6).jpg国立西洋美術館は、まだリニューアル工事中でいつもはフリーで入ることが出来る前庭にも入ることが出来ない。
1864年のミロのビーナス展の時は私は高校生で観に来たが前庭にも入れず入場待ちが数千人も並んでいた。
でもあの時に初めて観た松方コレクションが忘れられない。


国立西洋美術館の前を歩き、上野動物園の横の東京都美術館に向かいましたが、途中の桜も満開でした。

上野 (7).jpg国立東京博物館の前の道の桜並木。
絵を観た帰りに歩いたが、シートを敷いた宴会は禁止で一歩通行になっていた。


上野 (11).jpg東京都美術館。
この美術館には 年に数回来るけれど、企画展が良いからだ。


上野 (13).jpg東京都美術館の入口は地下にあるから、エスカレーターで降りる。



この絵画展は フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」の上の壁の部分に「キューピッド」が描かれていたことと、フェルメールが塗りつぶしたのではないことの調査、そして修復の過程を示すことが主目的の絵画展で、17世紀オランダ絵画の部分は付け足しですね。
いずれにしてもドレスデン国立古典絵画館所蔵の絵で日本初公開の作品も多いので、それなりに観る価値はありますけれど。
私は、フェルメール以外の絵師はレンブラントくらいしか知りませんでしたが、レンブラントの弟子の作品も多かったです。
この技術展も日時指定制ですが、私は身体障碍者手帳を持っていますので指定をしないで、無料で入場出来ました。
アーティゾン美術館などは、無料ですが日時指定は行わなくてはいけません。
但し、美術館所有の作品ではないため、撮影は出来ません。
アーティゾン美術館(旧ブリヂストン美術館)は、展示作品の殆どが美術館所有で撮影可なのが良いですけれど。

修復前.jpg今回の目玉、ヨハネス・フェルメールの修正前の「窓辺で手紙を読む女」 1657~59年頃、油彩、カンヴァス。
最初にレンブラント、次にピーテル・デ・ホーホの作品ではないかとされていたが、1880年になってからフェルメールと特定された。


キューピッドが描かれているのは 1979年にX線調査をしたときに判明していたのですが、作品を画家本人が行ったかどうかが議論されていたのです。
結局、他の人による変更だということになって、2017年3月からプロジェクトで修復が決まったのです。

修復後.jpgヨハネス・フェルメール「窓辺で手紙を読む女」 1657~59年頃、油彩、カンヴァス。
2017年12月から始まった修復プロジェクトで 2018年2月に上塗り除去が決まり 2021年9月に修復終了し、キューピッドが現れた。
所蔵館以外での公開は初めて。


今回の美術展はフェ ルメールの絵と、17世紀のオランダの黄金期の絵をテーマにしたものですが、オランダという国はプロテスタントの共和国として独立をしましたから他国と違って王侯貴族がおらず、パトロンとなる絵を購入する人たちは裕福な市民でした。
プロテスタントでは偶像崇拝が禁止されていますから宗教画の注文もありませんでした。
ですから、宗教画、歴史画などではなく、身近な風景や静物、風俗画だったのです。

レンブラント.jpgレンブラント・ファン・レイン「若きサスキアの肖像」 1633年、油彩、板。
レンブラントが婚約者 サスキア・ファン・アイレンブルフを描いた作品。
この絵が完成して 1年後、当時 21歳のサスキアと結婚をした。


城山.jpgヤーコブ・ファン・ライスダ―ル「城山の前の滝」1665~70年頃、油彩、カンヴァス。
ライスダ―ルは 18世紀のドレスデンで人気を博し、風景画の様式に影響を与えた。


そりとスケート.jpgヘンドリク・アーフェルカンプ「そりとスケートで遊ぶ人々」1620年頃、油彩、板。
1550年から1700年の間に、ヨーロッパ北西部で起こった小氷期と呼ばれる極寒の冬は、人々の生活を停止させてしまうこともあった。
住民たちが凍った運河の上で、様々な娯楽を楽しんでいる様子が描かれている。


思っていた以上に、オランダの良い絵を観ました。
歴史画、風俗画、風景画、静物画、複製版画など、良いものがありましたが、この美術展は何といってもフェルメールの絵の修復過程が中心でした。
いつもの通り、図録などを買ってから、美術館を出ました。

上野 (14).jpg東京都美術館の出口。
写真の左側の建物は企画棟で今回の美術展もここで開催された。
右側が公募棟。
エスカレーターとエレベーターも見える。


技術館の出入口前にある、上野動物園も入場待ちの人たちが並んでいました。
上野公園の桜を見てからJR上野駅で買い物と食事をして東京駅に戻り高速バスで木更津まで帰りました。
posted by ogu at 12:33| Comment(0) | 美術展 | 更新情報をチェックする

2022年01月15日

レッサー・ユリィ

三菱一号館美術館のイスラエル博物館所蔵の「印象派・光の系譜」は、良い作品が多くて、気に入りましたが、名前も知らなかったレッサー・ユリィの作品が 4点出ていて、これが素晴らしいのです。
三菱一号館美術館は最近の美術館に比べてあまり大きくはないので、展示物を出来るだけ絞りたいのですが、イスラエル博物館はしつこくユリィの作品を入れようとしたようです。
ベルリンを拠点に、特に大戦間の時期に活躍したドイツ印象派の画家、レッサー・ユリィ(1861~1931)という画家です。
ユダヤ系の画家として、これまでもドイツやイスラエルでは重要視されてきたようですが、日本ではあまり紹介される機会がなく、専門家以外では知る人ぞ知る存在でした。
確かに、レッサー・ユリィという名前は私も知りませんでしたし、一般的に全く知られてはいないのです。

0108 ユリィ (2).jpgレッサー・ユリィ 風景 1900年頃、油彩/カンヴァス。

今回の美術展の出し物で三菱一号館美術館が最初に断ったレッサー・ユリィの絵にイスラエル博物館が追加で加えられた作品。
他の作品よりもインパクトは少ないけれどイスラエル博物館の意気込みを感じる。


28 ユリィ 冬のベルリン.jpgレッサー・ユリィ 冬のベルリン 1920年代半ば、油彩/カンヴァス。

ユリィの絵は 独特の特有のアンニュイな雰囲気があり、かつ青みがかった色味や雨模様などから醸し出される湿り気のあるメランコリックな空気感がある。
大戦前後という緊張感をはらんだ時代背景や、生まれ育った東欧の風土も作品に影響を与えている。


この展覧会の初日に絵はがきが売り切れたそうで、ユリィの絵が 今回の美術展を盛り上げていることは確かでしょう。

29 ユリィ 夜のポツダム広場.jpgレッサー・ユリィ 夜のポツダム広場 1920年代半ば、油彩/カンヴァス。

夜の街路を描いたユリィの後期の代表作。傘をさして交差点を足早に渡る通行人の視点でベルリンのポツダム広場を描いている。
20世紀最初の10年間に、ポツダム広場は鉄道と複合施設、地下鉄駅を備えた新しい都市交通の中心地として発達し、路面電車とバスも統合され、ポツダム広場はこの時代の象徴となり、文学を含む芸術作品の格好のモティーフとなった。
ユリィもこの広場を何度も描いている。


イスラエル博物館文化部の話では、イスラエル博物館の4点のユリィ作品のうち3点は個人からの寄贈作品がそうですが、《夜のポツダム広場》は1933年にベルリンに創立されたユダヤ博物館に収蔵されていたそうです。
ところが、1938年11月10日にナチス・ドイツによりユダヤ博物館は強制閉館され他の作品とともに没収され、行方がわからなくなりました。
しかし 1945年、旧帝国文化院の地下室で再発見され、ベルリンのユダヤ人返還継承組織を通じて、エルサレムのベツァルエル美術館のコレクションに加えられた後、イスラエル博物館の所蔵となったそうです。
今回の美術展で最も引き付けられたのはこの作品です。
絵はがきが売り切れるのも分かりますね。
私も画禄の他に、この絵のマグネットを買いました。

0108 ユリィ (1).jpgレッサー・ユリィ 赤い絨毯 18890年、油彩/カンヴァス。

1880年代にユリィは裁縫にいそしむ女性の姿を頻繁に描いている。
父がボーゼン(旧プロイセン、現ポーランドのポスナン)近郊のビハンバウム(ミエンブフト)で亡くなり、母親がレッサーと二人の兄弟と共にベルリンに移り、小さなリネン店を開き、その収入で息子たちの教育費をまかなったので、縫物をする女性を主題に何度も描いたのだろう。


今年はフェルメールなどの美術展もある様ですが、三菱一号館美術館の「印象派・光の系譜」展は 会期終了間際でしたが 年初から良い美術展でした。

posted by ogu at 13:37| Comment(0) | 美術展 | 更新情報をチェックする

2022年01月14日

イスラエル博物館所蔵のピサロやシスレー

1月8日に行った三菱一号館美術館のイスラエル博物館所蔵の「印象派・光の系譜」では、ユリィの作品も良かったですが、前から好きなシスレーやピサロの作品も多くて気に入りました。

12 シスレー サンマメス.jpgアルフレッド・シスレー サン=マメス、ロワン川のはしけ 1884年、油彩/カンヴァス。

1880年にシスレーはフォンテーヌブローの森に帰る。
20年前にモネたちと印象派の活動を始めた地でまた絵を描き始めている。



11 シスレー ロクン川のほとり.jpgアルフレッド・シスレー ロワン川のほとり、秋の効果 1881年、油彩/カンヴァス。

シスレーはこの地に住んで何度もこの周辺を描いている。



13 シスレー ロワン川のはしけ.jpgアルフレッド・シスレー サン=マメス、ロワン川のはしけ 1885年、油彩/カンヴァス。

印象派の画家たちも、意見が分かれて変わってきたがシスレーの変化は穏やかで、色遣いの幅が広がり、筆致も変化に富んで画面はより複雑な質感を示すようになった。
この地が気に入ったのだろう。


次はピサロです。
ピサロは写実的描写で近代化する前の農村の農村風景や労働を描いています。
伝統的な羊飼いなどではなくて近代化をして行く農村を描いているのです。

19 ピサロ 豊作.jpgカミーユ・ピサロ 豊作 1893年、油彩/カンヴァス。

ピサロは、田園生活における産業の侵入に注目をして、耕作された風景を描いている。
農村の風景でも、今までの羊飼いなどではなく、鍬で農地を耕す男女の姿にしている。
一時期、点描も行っていたけれど、干し草の山のタッチに名残が残っている。



20 ピサロ 朝.jpgカミーユ・ピサロ 朝、陽光の効果、エラニ― 1899年、油彩/カンヴァス。

セーヌ川の支流 エプト川沿いのエラニ―村に移ってからの作品。
スーラの新印象派に加わった頃。



21 ピサロ エラニ―の日没.jpgカミーユ・ピサロ エラニ―の日没 1890年、油彩/カンヴァス。

ピサロは、エラニ―と近くのバザンクール=シェル・エプトでの夕日を繰り返し描いた。
この作品は構成はシンプルだけれど、力強く変化に富んだ筆致で活気を与えている。



25 ピサロ ポントワースの工場.jpgカミーユ・ピサロ ポントワーズの工場 1873年、油彩/カンヴァス。

画商 デュラン=リュエルがモネやピサロの絵を購入してくれたので生活が初めて安定化したころの作品。
セザンヌの才能を認め、一緒にイーゼルを並べて制作をしていた。
セザンヌはピサロを相談相手で神のような人だと言っている。



26 ピサロ デュイルリー宮庭園.jpgカミーユ・ピサロ チェイルリー庭園、午後の陽光 1900年、油彩/カンヴァス。

ピサロの最晩年に描いた連作の一つ。
後期の作品は都市の情景が多い。


印象派も、徐々に意見が分かれて新印象派などが出来てピサロも一時に新印象派に所獄していましたけれど、基本的に印象派の作品に戻っています。
1874年から 1886年まであった印象派展のすべてに出品をしているのはピサロだけですから、ピサロが印象派の作家の中心の一人ですね。
そしてマティスの質問に ピサロが最も印象派の画家だと指摘をしたシスレーもまさしく印象派の画家です。
posted by ogu at 17:55| Comment(0) | 美術展 | 更新情報をチェックする

2022年01月13日

三菱一号館美術館の「印象派・光の系譜」展

1月8日に東京丸の内の三菱一号館美術館の「印象派・光の系譜」展を観に行きました。
この美術展はイスラエル博物館所蔵の作品の展示会で 2021年10月15日から 2022年1月16日までですから、もう残りわずかです。
本当は 1月7日に行く予定にしていたのですが、雪が降って交通も大混乱をしていましたから翌日にしまのです。
例によって木更津からアクアライン経由の高速バスで往復をしましたが、8日は土曜日でしたからダイヤは平日と違っていました。
さて、今回は美術展のメインともいうべきモネ・ルノアール・ゴッホ・ゴーガンの作品についてです。
これらの作品も見慣れてはいるのですが、イスラエル博物館所蔵の作品はほぼすべてが初来日です。
その中で、メインの画家の作品のうち、撮影可の作品があって多くの人がスマートフォンで撮影をしていました。
ここには出しませんけれどドービニーや、コローなどの作品もありました。

0108 美術館-絵 (1).jpgクロード・モネ 睡蓮の池 1907年、油彩/カンヴァス。

ジヴェルニーの自宅の庭を改修して日本の太鼓橋なども造り、大部分は現地で描かれた。
しかし中には作業をアトリエで記憶を頼りに行ったこともあったようだ。
絵をアトリエに自分の周りに数点を並べて描いたりした。
1903年から1908年の間に描かれた 48点の連作の一つ。


一番 重要な作品群を撮影可にしているのが素晴らしいですね。
国立西洋美術館なども自館所有の作品は撮影可ですけれど、他の美術館から借りた作品の作品は撮影できません。

0108 美術館-絵 (10).jpgポール・セザンヌ 陽光を浴びるエスタックの朝の眺め 1982-1983年、油彩/カンヴァス。

マルセイユ近郊の小さな製造業の町 エスタックで初期の風景画を描いた。
1882年にエスタックに滞在中にイタリアから帰国をしたルノアールの訪問を受けたころの作品。
1907年にジョルジュ・ブラックが訪れ、革新的なキュビズムの風景画を描くことになる。


0108 美術館-絵 (11).jpgフィンセント・ヴァン・ゴッホ 麦畑とポピー 1888年、油彩/カンヴァス。

ポピーの花は晩春から夏にかけて咲くから、もしかすると再昨年は 1887年夏に繰り上がるかもしれない。


0108 美術館-絵 (12).jpgフィンセント・ヴァン・ゴッホ プロヴァンスの収穫期 1888年、油彩/カンヴァス。

本作品は 35歳の夏のある日に経験をした農村での生活の断片が描かれている。


モネ、セザンヌの作品は撮影できない作品も他にもありました。
ルノアールとゴーガンは、美術館で撮影可能な作品はありませんでしたから、買ってきた画禄をスキャンしたものを掲載します。

22 ルノアール マントノン郊外.jpgピエール=オーギュスト・ルノアール マントノン郊外 1888年、油彩/カンヴァス。

なんとなくノスタルジックな感じがする絵で、悪くない。


24 ゴーガン ウパウパ.jpgポール・ゴーガン ウパウパ<炎の踊り> 1891年、油彩/カンヴァス。

ゴーガンの第一次タヒチ時代の作品。
タヒチの先住民の踊りで植民地化したフランス人から禁止された。
ゴーガンが先住民への文化を表明するため<ウパウパ>というタイトルにした。


この美術展のメインではありませんが、ピサロやシスレーなどの良い絵がありました。
posted by ogu at 19:53| Comment(0) | 美術展 | 更新情報をチェックする

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