モダン・ジャズの神様です。
CDではなくて 30cmLP のころから、「チャーリー・パーカー・オン・ダイアル 完全版」の3枚組などの別テイクが含まれているレコードの「チュニジアの夜」「エンブレイサブル・ユー」「ヤードバード組曲」「オーニソロジー」などは、何度も何度も聞いたものです。
チャリー・パーカーの30cmLPは、まだ10枚以上持っていますけれど、その中でも「ジャズ・アット・マッセイホール」という私が大好きなレコードがあります。
1953年にカナダのトロントのマッセイ・ホールで行われた有名なライブです。
チャーリー・パーカー(as)
ディジー・ガレスピー(tp)
バド・パウエル(p)
チャールズ・ミンガス(b)
マックス・ローチ(ds)
バップの凋落期とはいえ、これだけの最強のメンバーが集まっての演奏
は、素晴らしいですよ。
パウエルは酒を飲んでいたとか、パーカーは練習用の安いアルトサックスを買って演奏したとか、混乱の極みだったらしいけれど、私は大好きな LP です。
チャーリー・パーカーを代表とする演奏をビ・バップというんですけれど、このマッセイホールでの演奏は、皆とてもリラックスしていてノリが良いんです。
パーカー(バード)の長いソロが聴けるのも良いですね。
ビ・バップの巨匠が好き勝手な演奏をしている感じで、気持ちが良いですね。
トランペットのディジー・ガレスピーも「ソルト・ピーナッツ」では大声で「ソルト・ピーナッツ!」連呼をしていますし、調子が良いんです。
ガレスピー、パーカーによる曲紹介も収録されていて、そんなことも嬉しくなる1枚です。
ジャケットが、オリジナルに戻っていて、私が持っているジャケットとは違うので、30cm LP を引っ張り出してきて撮影をしました。
全員が揃っている写真が良いんですよ。
このレコーディングについては、植草甚一さんのエッセイというか紹介文というかが思い出されます。
植草甚一さんの文章というのが、なんというか表現が難しくて、個人の好みを表に出すせいか、海外の記事の紹介なのか評論なのか、エッセイなのか、よくわからないんだけれど、非常に惹かれる文章なんですね。
植草さんはこんなことも書いています。
つまり、普通のジャズを求めている聴衆、あるいは、発展的なビ・バップについてゆけない聴衆を相手に、グループのメンバー達は、ある意味、ジャズの美学の一つとしての、『聴衆とソロイストの共存および格闘』を放棄してしまっている感があるのだ。
そのいい例に、パーカーが進歩的なビ・バップフレーズを吹いてみても、聴衆の反応はイマイチ盛り上がらない。ところが、そのフレーズの合間に通俗的なジャズのフレーズを引用してみせたところ、聴衆は大いに喜び盛り上がった。
これでは、一生懸命にプレイしようとするほうがなにやらアホ臭くなってくるのもわからないではない。
だから、パーカーも『なんでもかまわないや。通俗ファン向きにやってやろうというソロ』になった。
それはパーカーだけではなく、ガレスビーもそうだし、ふつう引用フレーズは使わないパウエルさえも<オータムノクターン>をソロのあいだに挟んでしまう始末なのだ。
これはイギリスの評論家が言っているのか、植草さんが言っているのかよくわからないんだけれど、確かに確信をついているんでしょう。
でも、乗っていることは確かで、このレコードが、ますます好きになってくるんです。
植草甚一さんは確か「コンフュージョン(混乱)」という言葉を使っていたと思うけれど、このレコードはまさにコンフュージョンの極みなんですね。
チャーリー・パーカーのレコードは、「チャリー・パーカー・オン・ダイアル」を始め、いろいろと持ってはいますけれど、マッセイホールはわすれられないLPです。 本当の読み方は「マッシーホール」でしょうけれど、あの頃このレコードに夢中になった世代では「マッセイホール」なんです。
「ダイアル・セッション」と呼ばれているレコーディングでは麻薬筆売人のムーチェが逮捕されたために麻薬が手に入らず禁断症状で睡眠薬と酒で意識朦朧とした状態で演奏をした「ラヴァーマン」という演奏もあります。
支離滅裂なんですけれど、惹かれる演奏です。
わずか34歳で亡くなるんですけれど、良いときの演奏の素晴らしさと、多くのエピソードで忘れられないジャズの巨人中の巨人です。
